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抽象的で、生々しい

毎週土曜日の朝、「サワコの朝」というテレビ番組が放送されているそうです。エッセイストでタレントの阿川佐和子さんが、毎回1組のゲストを招いて対談するという内容です。「”徹子の部屋”みたいな番組」と言えばわかりやすいかもしれません。

先日、ふとしたきっかけで、昨年の秋に放送された映像を見ました。その回のゲストは、小説家の綿矢りささんでした。綿矢さんといえば、19歳のときに「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞したことで知られています。
番組の中で、綿矢さんは一冊のノートを持ってきていました。俗に言う「ネタ帳」とか「アイデアノート」のようなもののようです。表紙には「夏用 2000」と書かれており、デビュー作の「インストール」を書くよりも前に使っていたノートとのことでした。

このノートを見て、私はなるほどと思いました。彼女は早い段階から「読まれる文章を書く」ことを意識していたんだな、と。
私が注目したのは、ノートに書かれた内容ではなく「ノートの使い方」でした。綿矢さんが使っていたのはよくある普通の大学ノートでしたが、90度回転させて縦書きで文字を綴っていました。

縦書きの文章と、横書きの文章は、違う。そう言っても、わかってもらえる人ともらえない人がいるかもしれません。でも、違いがあると思うのです。特に、小説のような、言葉のリズムが重要となる文章の場合には。
文字と文字との並びにしても、語句の組み合わせや流れにしても、縦書きと横書きでは感じ方が変わる。そのことに、弱冠16歳だった綿矢さんはすでに気づいていたのでしょう。だから、ネタ帳の段階から「読まれる文章」を思い描いて縦書きで書いていたのだと推測するのです。

綿矢りさノート

この対談で、もうひとつ印象に残った場面がありました。綿矢さんが「記憶の中できらめく曲」として、スピッツの「夏の魔物」を挙げたところです。

スピッツは、1991年にメジャーデビュー。同年、デビューアルバムからシングルカットされた2ndシングルが「夏の魔物」でした。ちなみに、大ヒットした「ロビンソン」がリリースされたのは1995年のことです。
「夏の魔物」が発売された当時は、綿矢さんは7歳ですので、おそらくリアルタイムで聴いたわけではないでしょう。初めて買ったCDもスピッツだったそうですが、さかのぼって1stアルバムから聴いたということは、よほどファンになったのかもしれません。

スピッツのほとんどの楽曲を作詞しているのは、ボーカルの草野マサムネですが、綿矢さんいわく「歌詞が抽象的で、生々しい」とのこと。そんな「夏の魔物」の歌詞を少し見ていきたいと思います。
まずはAメロから。

古いアパートのベランダに立ち 僕を見おろして少し笑った
なまぬるい風にたなびく白いシーツ
魚もいないドブ川越えて 幾つも越えて行く二人乗りで
折れそうな手でヨロヨロしてさ 追われるように

映像として鮮明に浮かび上がるような詞です。いや、単に映像だけでなく、匂いとか空気感までも伝わってくる気がします。
しかし、こんなにくっきりと輪郭を思い描ける光景も、浮かんではすぐ消える印象。「古いアパートの…」も「魚もいない…」も、短くブツ切りにした場面が継ぎ合わされているような感じです。どこか儚げに思えるのは、そのせいかもしれません。

そして、最後の「追われるように」という異質な言葉で、鮮明だった世界観が不安定になります。「何に」「どこに」追われるというのか。説明もないまま放り出され、Bメロ~サビへと続きます。

幼いだけの密かな掟の上で君と見た 夏の魔物に会いたかった

Aメロとは一転、抽象的な言葉が並びます。
「夏の魔物に会いたかった」ということは、「夏の魔物」には実際には会えなかったと解釈できますが、その会えなかったはずの「夏の魔物」を「君と見た」と言っています。どうやら時間軸や空間、現実と非現実すらも混沌としているようです。

「掟」とは何か、「夏の魔物」とは何かについても、何の説明もありません。たぶん、はっきりしたカタチがあるものではないのかもしれません。ただ、「魔物」という単語にはドキリとさせられますし、「幼いだけの密かな掟」という表現からは少しだけエロティックな感覚が想起されます。「会いたかった」という言葉には、寂寥感のようなものも感じます。
Aメロとは逆に、映像としてはぼんやりしている中で、匂いや空気感だけが立ちこめている、そんな印象を受ける詞です。

綿矢さんがスピッツの曲を聴き、歌詞に強い印象を受けたのは高校生の頃だそうです。その高校時代に書かれたデビュー作「インストール」の一節を(不本意ながら横書きで)引用します。

二日酔いの気分で起き上がり汗ばんだ髪の間から前を覗くとちょうど夕暮れで、ぎらぎら煮えたぎって揺れ落ちる地獄の落陽が、部屋を有害な蜜色に染め上げていた。またその照らされた部屋の汚さがホラーで、参考書の山や湿った汗臭い服、緑の網タイツに二日前のお好み焼、プラス何故買ったのかイギリスの国旗、の転がった奇怪な阿片窟、私はゴミに囲まれたまま呆然とした。眠りで回復したせっかくのHPをこの部屋の光景に根こそぎ吸い取られて動けなくなってしまった。さらに外から、豆腐屋のプー…アー…というやるせない笛の音色が段々近づいてくるのが聞こえてますます歯がゆく、弱り、このまま私、廃人になってしまうのではないかと本気で怯えた。

映像だけではなく、淀んだ匂い、退廃した空気、さまざまな感覚刺激が文章を通して呼び起こされる気がします。そしてそれは、単なる情景描写だけではなく、ところどころに散りばめられた抽象表現によることに気づかされます。
「抽象的で、生々しい」――確かにこの点において、綿矢りさの文章と草野マサムネの歌詞には通じるものがあるのかもしれません。