忘れ物

小学3年生から4年生ぐらいの頃、私は忘れ物が多い子どもでした。ほぼ毎日のように、学校に何かしら持っていくのを忘れていました。
いま考えると、どうしてあんなに忘れ物をしてたんだろうと思うほどです。

そのとき通っていた小学校では、運動会になると全学年揃って「ソーラン節」を踊るのが恒例でした。ソーラン節とは、北海道のニシン漁をモチーフにした民謡です。
運動会が近くなったある日、クラスで忘れ物をした私たち数人は、担任の先生から「罰ゲーム」を受けました。それは、教室の黒板の前に出て、ソーラン節を歌いながら踊るというものでした。その「罰ゲーム」は、それから何日も続きました。

そのうち「罰ゲーム」は、自習時間や学級会の時などに、生徒たちが自主的に行うようになりました。しかも、途中で踊りを間違えると最初からやり直しさせられる、というルールを追加した形で。
それに対して、担任の先生は何も言いませんでした。黙認していたというよりは、生徒たちの「自主性」を促していた、というほうが合っているかもしれません。

しかし、「罰ゲーム」を受ける生徒はたいてい決まっていました。自己主張が苦手だったり、集団に順応するのがうまくなかったり、要領があまりよくなかったりする子でした。一方、「罰ゲーム」を主導する生徒は、要領がよくて、クラスの空気を支配できて、先生からの受けがよい子でした。
つまり「罰ゲーム」は、クラスの中でのイジメの延長にほかなりませんでした。そして、この「罰ゲーム」というイジメの場合は、先生が公認していたものだった分、よけいに絶望的ともいえました。

数年後、私は自分で忘れ物をしない工夫を見つけました。それは、帰ってから必ず目にするところに、次の日に忘れそうな物の名前を書いておく、というものでした。
例えば、カバンの内側に大きな紙を貼ったり、筆箱や財布にメモをはさんだりしました。これらの方法がうまくいくたび、私は安堵感と自己肯定感を得ていきました。
この習慣は大人になってからも続いていて、いまはもっぱら、家のPCのメールアドレスにメールを送っておくという方法をとっています。

私にとって「罰ゲーム」は、劣等感を与えられる以外には、何も得ることがないものでした。決して、この方法では忘れ物は減りませんでした。むしろ、忘れ物をなくそうと焦るばかりで、忘れ物を減らす方法を考えられるだけの心の余裕が持てなかったのだと思います。

忘れ物をするのがよくないことぐらい、十分にわかってます。それでも、忘れ物を減らせられないから、困ってるのです。その「困りごと」に対する答えが「罰ゲーム」というのは、あまりにも違うんじゃないかと、いま振り返って感じます。
私に必要だったのは「罰」などではなく、「どうすれば忘れ物が減るかを一緒に考えてくれること」だったと思うのです。

大人は、子どもが自分で具体的な解決策を見いだせるように、サポートしてほしいと思います。そして何よりも、大人は、「罰」が子どもに与える影響について、心に留めておいてほしいと思います。それが、小学4年生だった私から、大人たちへのお願いです。