とりあえず共に生きるという意味 #3

1996年2月29日、私は大学の卒業を待たずに名古屋から埼玉へ移住し、民間の社団法人に就職しました。そして、障害のある人とない人が共に働く店を埼玉県庁内に開設するための専従職員として働き始めました。

http://blog.goo.ne.jp/saitama-kappo/e/90777f79f5d2359c8dfc2126d8629f3b

今日、多くの障害者が、自らの生活を切り開く主体者として地域で生きることを模索するようになってきました。そして、行政もようやく介助・住宅・交通などの施策に取り組み始めました。しかし、障害者の社会参加、とりわけ労働の場への参加は依然として厳しいのが現状です。
建築物・道路・交通といったハード面の未整備や制度の欠如、そして社会の意識の問題など、障害者が働く上での障壁を挙げればきりがありませんが、そもそも、障害者がいないところで障害者の労働・雇用の問題を考えるといっても、実感がわかないのではないでしょうか。
そこで、まず障害者と健常者が共に働く店・事務所をつくり、その運営を通して共に生きる地域を創造していく試みの一つとして、埼玉県庁第二庁舎ロビーに「福祉の店」をオープンしました。

「福祉の店」の目的は、次の二つが挙げられます。
●公共の場所の中にあるという店の特性を生かし、地域で障害者が営んでいる生活を多くの人に知らせ、障害者と健常者が共に生きる社会をいっしょに考えてもらうきっかけにしていくこと
●障害者と健常者が共に働く店を運営していくことを通して、福祉と労働の施策はもちろん、街づくりや自治体の取るべき方向性、障害をもたない人々を含めた社会における労働のあり方を問い直していくこと

(1997年4月 県庁舎内に「かっぽ」をオープンした時の案内文より引用)

これは恐らく、当時24歳だった私が「アンテナショップかっぽ」と名付けられた店の設立趣意書として書いたものです。なんて下手くそな文章なんでしょう! いかにもすべてわかってるつもりになってこんな文章を書いて、公にしていたことが恥ずかしいです。まるでこのブログと同じ…って、今と全然変わらんやん!

それでも何とか、この店の持つ意味をできるだけ多くの人に伝えられればと、言葉を搾り出すような思いで書いた記憶があります。そしてよく読んでみると、当時としてだけでなく、15年経った今考えても先鋭的なことを書いているように思えるのです。

ひとつは、とりあえず「障害者がここにいる」のを前提にしよう、と言っている点。「そもそも、障害者がいないところで障害者の労働・雇用の問題を考えるといっても、実感がわかないのではないでしょうか。そこで、まず障害者と健常者が共に働く店・事務所をつくり、その運営を通して…」の部分です。

注記したいのは、ここで書いている「障害者」とは軽度の障害者だけではないということ。軽度の障害者は雇用、重度の障害者は福祉という振り分けは、制度の充実によってますます厳密になってきました。そんな今だからこそ、「まず(重度を含む)障害者と健常者が共に働く店・事務所をつくり…」の意味は増しているのかもしれません。

もうひとつは、「共に働く」「共に生きる」を強調している点。「障害者の社会参加、とりわけ労働の場への参加」を進めるためには、「自らの生活を切り開く主体者として地域で生きることを模索」するというよりも、「共に生きる地域」「共に生きる社会」を創造することが大事であり、さらには、障害者の労働の場への参加を進めるには「障害をもたない人々を含めた社会における労働のあり方」も問い直す必要があると言っています。

以前のエントリで書いたように、障害者(+介助者)とそれ以外の人は分断される傾向にあります。また、差別をなくそうとする動きが逆に分断を招いているというのも、以前のエントリで書いたとおりです。
制度の充実=障害者の権利保障を進めつつ、分断をなくすにはどうすればよいのでしょうか。「障害をもたない人々を含めた社会における労働のあり方」も問い直すというように、障害者のことだけを考えるのではなく、障害のある人・ない人にかかわらず社会全体の権利を問い直していくという姿勢をとることが一つの方法なのだと思います。