不器用な、衝動

ヴィレッジヴァンガードで、棚に平積みされてたのをたまたま見つけて、購入。
ジェットコースター・ストーリーっていうのかな。一気に読めました。

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

自己紹介で、自分の名前がうまく言えない志乃。志乃が高校に入って、初めて友だちになった加代。そして、志乃と加代に何かと絡んでくる菊地。この3人を中心に、物語は展開します。
3人はそれぞれ、何かしらの不器用さをもっています。志乃には吃音があり、そのせいで人間関係をうまく築けません。加代は、音痴であることに劣等感を抱いています。菊地は落ち着きがなく、空気を読むのが苦手です。

「絶対笑わないでよ」と前置きして歌い始めた加代の歌に対して、志乃はこらえきれずに吹き出してしまい、加代を激怒させます。志乃は「加代ちゃんは私が喋れないの笑わずにいてくれたのに、私は加代ちゃんのこと…」と言って涙を流します。
「志乃にとっての吃音」と「加代にとっての音痴」は、コンプレックスという点では「同じ」です。そして読者にとっても、特別な誰かのことでなく、吃音を自分のコンプレックスに置き換えて感じることができます。

ただ、吃音と音痴は、困り度合いは「同じ」ではありません。音痴は「歌わなければいい」と言えますが、吃音は「喋らなければいい」というわけにはいかないからです。
吃音がある人は、喋ることを避けたり、性格が内向的になったり、人間関係が築けなくなったりといったことが、吃音がない人よりも起きやすくなるのでしょう。日常生活や社会生活への支障の程度によって、「つらさ」のレベルが大きく変わるという点は、心に留める必要があります。

嫌がる志乃を誘って加代が路上ライブをする場面は、「暴露法」を想起させます。暴露法とは行動療法の一種で、恐怖や不安になる状況にあえて直面させることで不安反応を消していく治療法のことです。
志乃はつっかえずに歌うことができ、加代から「志乃のうた良かったよ」「いい声してる」と褒められます。無理だと信じこんでいることでも、ほかの人から後押しを受けて、やってみたら「意外とできた」と実感する。これも、自己効力感を高めるひとつのプロセスではあると思います。

だけど、どうしても、どうにもできないことはあるわけです。
「がんばって!」と言われたり、「緊張してるのかな?」などと理由を追及されたりすればするほど、がんばってもできない自分を責め、自分のことを情けなく感じてしまいます。
そこで大事なのは、「喋れないんなら、紙に書けばいいじゃん」という、別の発想。あるいは、音痴な自分の代わりにほかの人に歌ってもらうとか、だと思うのです。

この本のラスト、大人になっても志乃の吃音は治っていません。でも、喋りがつっかえた時には娘に助けてもらい、その助けを志乃は「ありがとう」と言って受け入れています。
自分の不器用さを認め、その不器用さについては別なもので代償することを、自分に許せるようになったんだと感じました。すごく読後感のよい終わり方でした。

作者の個人的体験が書かれた「あとがき」も含め、何度も読み返したくなる一冊です。