指導教員だった先生と、それにかかわる運動の話

2017年の3月まで大学院に通っていました。修士課程だったのでふつうは2年間なのですが、長期履修制度を使って4年間在籍しました。
はじめに指導を受けた先生は、入学してから2年半後に急病で倒れ、その半年後に亡くなられました。今となっては、この先生からなかなか興味深い話を聞けたと思っています。

先生は、障害者福祉論・障害児教育論が専門でした。
障害児教育の分野では、全障研(全国障害者問題研究会)という共産党系の教職員組合とつながりのある団体が、一定の位置を占めています。

1970年代後半、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)という団体が、全障研と養護学校設置義務化をめぐって対立しました。全障連は、重度の身体障害者によって結成された団体です。
全障研は、障害児の学習権を保障するものだとして、施策に賛成しました。一方、全障連は、障害児・者を隔離・収容するものだと認識して、反対運動を繰り広げました。

先生から個別指導を受けたとき、抗争の渦中にいた体験を聞きました。1977年、学生として全障研大会の開催準備をしていたところ、全障連の連中が大会をつぶしにかかってきたとのこと。
その口調から、いまだに根にもっていることがわかり、おもしろかったです。

自立生活運動ってどうなのよ?という話もしました。結局、デキる人たちの運動じゃないの?1990年ごろにエド・ロバーツの講演を聞いたことがあるけど、やっぱりそう思ったと。
自分も少なからず同意見のところがままあるので、各論ではけっこう意見が合いました。

学問の世界のよい点は、いろいろ対立している主義思想の人それぞれから話を聞きやすいことだと思っています。
学生や研究者という肩書きがあると、何にも染まっていない無学な人が勉強しに来たという体面をとりやすかったりもします。

2015年の夏、全障研の大会が岐阜で行われるというので、ひとりで潜入?してみました。
けっこうな動員力でびっくり。けれど、ふつうに当日受付で参加できて、さすが「民主的団体」だなあと。
せっかくなので、「就学・修学」という分科会に参加しました。ここでも、「障害児教育について研究している大学院生です」と適当に自己紹介したら、とてもフレンドリーに迎え入れてくれました。

内容はどんなもんなのかなと思っていたのですが、ある意味、拍子抜けしました。
障害児は望ましい場で教育するのがよいという発表に対して、コーディネーターの人が「意味がわからない」と一蹴。こういう考え方は、障害者権利条約に沿っていないと。

就学相談について、文部科学省は親があきらめるように仕向けていると批判していました。
特別支援学校の高等部が難関化して、中学部から入る子どもが増えている現象に対しても問題にしていました。

健常の青年が大学や短大、専門学校に70%以上入っているのに対し、障害のある青年がそうなっていないことは差別だとも言っていました。
就労、就労とかき立てられるけれど、障害のある青年もモラトリアムの期間を送る権利があると。
この理屈はおもしろいし、たしかにそうかもと思いました。

とくにおもしろかったのは、「もう一方」の教職員組合との関係について、雑談の中で出ていた話。
「もう一方」の組合に入っている人が同じ町内会にいて、一緒に役員になったのをきっかけに、酒を飲む仲になったそうです。「発達させるんだろ?」と嫌味を言われながらも、気軽に話せる仲になっていると。
昔は席を同じくせずという感じだったけれど、今はだいぶ変わったと、分科会に参加していた人たちは口を揃えて言っていました。ただし、「原理主義的な共育共生論者でなければ」とのことですが。

こうやっていろいろな場に参加して話を聞きやすいのは便利だなと思い、大学院修了後に「客員研究員」という肩書きを得ることにしました。
軽い動機で「客員研究員」になったために、予期せぬ方向に行くことになってしまったのですが、その話はそのうち。