神奈中バスに乗って考えたこと

 1年前、1周忌の次の日に、津久井やまゆり園へ行きました。中央本線の相模湖駅から神奈川中央交通のバスに乗り、「県立やまゆり園前」というバス停で降りると、すぐそこが正門です。

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 1時間に1、2本は神奈中バスが走っています。近くに民家も点在しています。車も多く行き交います。やまゆり園のことをいまだに「隔離施設」と言うのは、人里離れたへんぴな田舎だと言っているみたいで、住民の人たちはどう感じているのかな、と思います。

 帰りのバスの中、同じバス停から乗ったおばあさんに「今日はやまゆりへ?」と声をかけられました。「そうです」と答えると、「あんなことになってしまってねえ…」と。その語り口からは、施設や入所者に対する距離感が、意外なほど感じられませんでした。あとから新聞記事で、近隣の人たちは行事のたびに参加し、交流を深めていたと知りました。設立から50年以上たち、やまゆり園はもう「地域」の一角になっていたのかもしれません。

 やまゆり園のような施設が、国の隔離政策でつくられたことは知っています。やまゆり園を再建することは、障害のある・なしによる分離を続けることであって、私はそれに反対です。たとえ小規模グループホームに分散するとしても、変わりないと考えています。

 ただ、政策の是非はそれとして、とも思います。近隣の人たちにとって、やまゆり園がなくなることは、たとえば神奈中バスが廃止になるのと同じような思いかもしれません。

 いま、「意思決定支援ガイドライン」にもとづき、福祉専門職チームが入所者の居住場所を決める支援をしています。でもこれは、それぞれの人がもっている「地域」像をリセットするような行為にも感じます。形としての地域移行をめざすよりも、その人の「生きざま」が見える生活を考えるほうが、「地域」生活の実現になるのではと思います。

初出:『月刊わらじ』2018年7月号 特集「やまゆり園って何だっけ?」