支援という名のくだらないできごと――知的障害者施設での現場経験から

1.はじめに

私は社会福祉士養成校を卒業後、2010年4月に民間の知的障害者通所施設(生活介護事業所)に入職し、2013年8月まで勤務していた。退職してからだいぶ時間が経ち、最近は当時のことをいくぶん客観的に思い返せるようになった。それとともに、当時自分のしたことや見聞きしたことの本質――援助者による被援助者への加害性――について、ようやく本当の意味でわかり始めた。

いま私は、その本質の断片を書き留めておかなければいけないという思いに駆られ、この文章を書いている。けれども本稿は、元勤務先の実態について告発することを意図するものではない。このことの含意については後述することにして、まずは自分が経験したことの一端から綴っていきたい1)

 

2.被援助者を辱めた(くだらない)理由

入職してまもなく、私は2人の利用者のケース担当をすることになった。その1人がAさんだった。Aさんは、職員の間でいわゆる問題行動のある利用者とみなされ、当分の間は「しつけ」的な支援が必要だと認識されていた。

施設の建物内には、玄関を入ってすぐのところに作業スペースがあり、その横に小さな更衣室があった。Aさんは、その更衣室に閉じこもるのが好きだった。といってもただ閉じこもるだけでなく、室内のロッカーや壁を叩いたり、壁に爪を立てて壁紙を剥がしたりした。これらの行為が、施設長や理事長らの逆鱗に触れた。大切な施設に傷をつける行為はけしからんと理事長は言い、思い入れのある施設が壊されることは許せないと施設長は言った。

そして、Aさんは更衣室への立ち入りを禁止された。更衣のために更衣室を使うことも禁止になったため、Aさんは作業スペースで着替えることになった。他の多くの利用者や職員がおり、玄関のドアを開けたら外から丸見えの場所で、Aさんは下着姿になることを余儀なくされた。壁を傷つけたというくだらない理由――Aさんを辱めることに比べればこんなものは本当にくだらないと思う――だけで。

帰宅時にAさんを迎えに来たお母さんは、Aさんが玄関のすぐそばで着替えるのを目の当たりにして、相当ショックを受けているようだった。しかしお母さんは、自分で自分を納得させるようにつぶやいた。「そうだよね、しょうがないよね。更衣室を使っちゃダメなんだもんね…」。

Aさんの両親と面談をしたとき、お父さんは私たちに「この子の悪い部分ばかりでなく、いい部分も見て、それを伸ばしてやってほしい」と言っていた。いま考えると、両親の思いはこの言葉に凝縮されていたと思う。そのような視点を、まったく職員がもっていなかったというわけではない。しかし、Aさんにルールを守らせなければいけないという考えのほうが、明らかに優先していた。

7月下旬のある日、Aさんの両親が来て理事長や施設長と話をした。両親が帰った後、私は施設長から、Aさんが今日限りで施設との契約を解除することに決まったと伝えられた。この日、私はツイッターで次の文章をつぶやいた。「聞いたときには、思わず絶句した。ベストな支援を尽くせたと思えないだけに、残念としか言いようがない。自分の力量不足と同時に、人の行く方を左右する仕事をしているのだと痛感」。

 

3.告発ではないが、懺悔でもない

本稿のはじめに、この文章は告発ではないと書いた。しかし、だからといって、懺悔の念から本稿を書いているのでもない。

利用者を辱める行為が平然と行われた理由を、単に施設上層部の意識の低さのみに帰結させるべきではない。現場の担当職員だった私は、まぎれもなく加害者である。私は、私自身が加害的な支援を行ったということを、まずは自覚しなければならない。

一方で、いま述べたことと一見矛盾するかもしれないが、私は自分を責め続けるべきではなかった。社会福祉士の養成課程で、被援助者の尊厳を守ることは援助の基本原則だと教わった。しかし私は、現場のリアルを前にして何もできなかった。施設の方針に対して異議を唱えるどころか、疑問をもつことすら十分にできなかった。

入職3ヶ月目の6月頃から、私は徐々に身体の不調をきたしていた。Aさんが退所した7月下旬以降は仕事に行けない日が続き、ついには半年間休職することになった。身体の不調は、施設の方針に対する私の本能的なシグナルだったのではないかと、いま振り返ると思う。しかし当時の私は、ただ自分の資質不足・力量不足だけを感じ、自分の内面で自分を追い込むことしかしなかった。自分の外の世界に向けて、何も発することができなかった。

だから、私は懺悔はしない。この文章を書くことによって、私は贖罪されるような気持ちになってはいけないし、ましてや自己満足になってはいけない。私は、私自身がした行為を含め自分が経験したものごとの本質を見つめ続け、微力ながらも解決の途を探っていきたいと考える。それが、経験を踏まえて私ができる、もっともましなことだと思っている。

 

4.本人の気持ち

もう一つ、私が経験したできごとを書く。

Bさんはグループホームに入居しており、日中は私の勤める施設に通所していた。ある日の昼食で、私はBさんと隣り合わせの席になった。別の職員がBさんに、食後に薬を飲むようにとしきりに念押ししていた。その薬は、少し強い鎮静作用のある抗精神病薬だった。その職員に聞くと、最近Bさんがグループホームで夜中まで寝ずに大声をあげるため、他の入居者を起こしてしまうとのことだった。職員はBさんに「頼むから飲んでよ。◯◯さん(グループホーム世話人)が困るから」と言った。

いったい誰のほうを向いて支援をしているのだろうと思う。こういう場合によくいわれるのは、他の人に迷惑をかけないようにすることが、巡り巡って本人のためになるという論理である。たしかに、巡り巡って本人のためになるということ自体は、実際にそういうこともあるだろうとはいえる。しかし、その論理はあくまでも建前であって、本音のところは巡り巡って本人のところに来る前の、いまある問題への対処がしたいだけだ。小奇麗な建前で、本音を不可視化しているだけだ。結果、その人のためになるという建前の論理によって、その人のためとはいえない支援が正当化される。

私がふと「なんでBさんは薬を飲みたがらないんでしょうね?」と言うと、その職員は虚を突かれたような表情で私を見た。そんなことを知っても意味がないと思ったのかもしれないし、薬を飲みたがらないことに理由などないと思ったのかもしれない。ともかく、そういった問いを立てるという発想自体がなかったようだ。薬を飲みたがらない人が目の前にいて、その人が薬を飲みたがらないのはなぜなのかと疑問をもつのは、あまりに素朴すぎるほどありきたりであたりまえなことだと思う。素人でも立てられるようなこんな問いを、なまじ「専門性」をもっているがゆえに立てられない、あるいは、問うまでもない意味のないものとして処理してしまう。そして、本人のためとして行われる支援において、本人の気持ちが置き去りにされていく。

とりあえず、現在の障害者福祉において、支援というものは必要なものなのだ、ということにするとしよう。それならばせめて、支援される側がいまどう感じているかを、少しでも感受しようとしながら支援したい。私はそう思う。

 

5.おわりに

社会福祉士の養成課程で、私は人間の尊厳について学んだ。しかし、私は現場のリアル――尊厳という言葉がうわべだけのスローガンと化している現実――に流されてしまった。人権概念それ自体は崇高な価値をもつものだが、現場で本当の意味で、その人がその人であることを守るためには、人権概念だけではまったくもって心もとない。

私はいま、大学院で「知的障害者の日常生活における意思の尊重」をテーマに研究している。研究の目的は、知的障害者の意思を尊重するためのオルタナティブな、人権概念に依拠しない原則を提示することである。けっして、人権の価値を否定したり軽視したりしようとしているわけではない。人権の意義を肯定したうえで、さらに人権とは別の原則を付与することによって、支援現場や現実社会が真に人間の尊厳を守る方向へ行くように、後押しができないかと考えているのだ。

この思考的試みがうまくいくかどうかはわからないし、自分の力量ではたいしたことはいえないだろう。自分の主張が社会に影響を与えるはずもないし、何かの弾みで世の中がガラッとよくなるといった楽観があるわけでもない。でも、「いわない」よりは「いう」ほうが、多少マシなのなのかもしれないと思っている。「いわない」で後悔するよりは、ダメモトでとりあえず「いう」ことをしてみたいと考えている。

 

1) 事例の記述においては個人の特定を避けるため、複数人のプロフィールを組み合わせたうえで最小限の記述に留めている。