自己PR?的な文章

学振(日本学術振興会特別研究員)応募のために書いた文章ですが、読み物としてちょっとおもしろく書けたと思うので、ここにアップします(学振はあっけなく落ちました)。

研究者を志望する動機、目指す研究者像、自己の長所等

まず私は、障害者運動史を専門とする研究者を志す者という以前に、障害者運動にかかわる一員である。劣等感や疎外感をかかえがちな私は、それでもなお社会で生きていくにはどうすればよいかという「課題」をもっている。そしておそらく、ほかの人たちも何らかの「課題」をもちながら生きている。それぞれの「課題」には、共通項があるかもしれない。であれば、互いの「課題」を持ち寄って、一緒に考え合いたいと思う。端的にいえばこれが、私が障害者運動に参加している理由である。

そして、研究というかたちで行おうとしている理由は、次の3つである。1つ目は、私たちがもっているのと同じような「課題」について、先人に教えを請いたいからである。先人たちは、さまざまな「課題」に対して、より深く長い時間をかけて考え、取り組み、立ち向かっている。その話を聞いたり、書かれたものを調べたりして、いまを生きる多くの人たちと共有し合いたいと考えている。

2つ目は、障害者運動にかかわってきた人たちによって、「課題」がどのように意味づけられてきたかを知りたいからである。それぞれの「課題」が重なり合いぶつかり合うなかで、「課題」の意味づけがどうなっていったかを知りたいのであり、それを知ることにこそ運動史研究の本質があるのではないかと考えている。これもまた、多くの人と共有し合いたい。

3つ目は、これまでの障害者運動でいくつもの「課題」が示されてきたにもかかわらず、その経緯を知らない人が、障害者運動のなかにもあまりにも多いからである。経緯を知る人にはもっと語ってもらうべきことがあり、墓場まで持っていかれてしまう前に聞き出したい。そして、先人たちに「いまの社会は、障害者運動が思い描いてきた未来ですか?」と問い、何らかの応答を得たい。これが、私が研究者を志す究極の目的だと考えている。

「聞き出す」ということは、人の生活史に踏み込むことであり、つねに暴力性を伴うことである。それを重々承知し、できるかぎり礼には礼をつくして返さなければならない。研究者にとって礼をつくすとは、語ってもらったことについて、背景も踏まえて余すことなく書くことだと考える。もちろん、十分にプライバシーに配慮しながら行わなければならないことは、いうまでもない。

障害者のために云々というような慈善の精神はもちあわせていないし、世のため人のためになれるとも思わない。研究のための研究をしているのではないかと問われたら、そうではないと言い返せる自信もない。しかし、他人事ではなく自分ごととしてやっているということと、自分を安全地帯におきながら「研究対象」について評論したいのではないということ、この2点は断言できる。そして、この姿勢を保ち続ける人間が、あるべき研究者像であると、私は考える。

その他、特に重要と思われる事項

私は約11年間、グラフィック制作やウェブ制作の現場で、ディレクターとプランナーの仕事を務めた。おもな業務は、クオリティ管理とスケジュール管理の両立を図りながら制作を進行することや、クライアントがもつ問題点を分析してソリューションを提案することであった。つねに納期に追われる状況で、終電で帰宅したり徹夜したりするのもあたりまえという労働環境のなか、身体をこわしていく人を何人も見てきた。しかし私は、職場に対してなにも声をあげることができなかった。

その後、私は3年半、知的障害者通所施設で勤務した。ここでは、施設ぐるみで通所者に虐待を加えたり、多少の問題を起こした通所者を入所施設に送ったりということが行われていた。扱いやすい障害者と扱いにくい障害者をふるいにかけ、扱いにくい障害者を切り捨てることが、いとも安易に行われている現実を目のあたりにして、呆然とした。しかし私は、ここでも声をあげることができなかった。これらの経験でかかえた無力感は、恥ずべきことであるが、いま研究に向かうバネになっているのはたしかである。

私は、人並みの苦労を経験してきたつもりではあるが、それはたかだか、私という個人がこれまで生きてきたなかで得た経験でしかない。これまで経験したことのない場所では、私は「新人」であり、謙虚に貪欲に多くのことを吸収したい。こういう思いが強いせいなのか、私はしばしば、苦労を知らない人、人生経験の乏しい人だと思われがちである。しかし、それは研究者として得なことだと考えている。虚勢を張ったり知ったかぶりしたりするよりも、多くの人から多くのことを教わることができる。これが私が考える、私の研究者としての資質である。