「いじめもまた共生のプロセス」との主張とそれに対する批判まとめ(+文献リスト)

Last Updated: 2021/09/16

小山田圭吾(コーネリアス)の東京オリンピック開会式楽曲担当辞任騒動を機に作成し始めました。
「まとめ」といっても、手持ちの文献から引っ張ってきただけですが。
※肩書は当時のもの。


篠原睦治
(子供問題研究会代表、和光大学教授→名誉教授)
2002/02 「『共生』のなかの『分離』を考える」『社会臨床雑誌』9(2): 19-24.(→リンク

 以後、私たちは、「普通に」とか「あたりまえに」とかいう言葉をよく使うようになりましたが、むろん、そのような生活は問題がない、理想、素敵、と思ったからではありません。むしろ、「普通学級」は、分けられていない、隔離されていないだけで、その分、問題が隠されていない、露呈しているところでもあるわけです。普通学級に行って「本当に良かった」という、うれしい元気の出ることを何度も体験してきましたが、逆に、普通学級に行ったがゆえに、無視、軽視された、いじめられた、といった悲しい腹立たしい体験も重ねてきました。しかし、私たちは、これらの事態を直ちに「障害者差別」とくくって、告発し告発される関係にしてしまうだけではいけないと言い聞かせあってきました。すなわち、私たちは、これらの事態に直面しながら、「せめぎあう共生」という現実、つまり「お互い様」の世界の一端として受け止めなくてはならない場合があることも気付いてきました。重ねて確認ですが、そこが「普通の場」なのです。(pp.19-20)

2017/03 「共に生き、共に育つということ」東京大学大学院教育学研究科小国ゼミ編『「障害児」の普通学校・普通学級就学運動の証言――1979年養護学校義務化反対闘争とその後』,14-37.

 マスコミで、「いじめ撲滅・体罰厳禁キャンペーン」が大きく取り上げられるようになるのは、80年代半ば。子問研では、そのときにずっと先んじて、タケシがしょっちゅうイジメられていて、そのたんびに職員室に逃げ込んでいた。ぼくらは、同情の余り「学校、サボったら」と入れ知恵をした。彼は、これに反論して、「今日はイジメられない」と思って行くんだよと、ぼくらの入れ知恵を拒否した。
 80年代に入る頃、サツキは、特殊学級(小学校)から普通学級(中学校)に通うようになる。一学期が終わっても、二学期になっても、家で気づくと生疵が絶えなかった。両親は、それでも通い続けるサツキに励まされて、教員に善処を要求することがなかった。結局、イジメ―イジメられる関係は、学校側にバレてしまって、この事態は解消するのだが、父親は、「いじめる子もいるけれど、仲良くしてくれる子もいるよ」という、自らもイジメられ体験のある少女の言葉に励まされて、父親は、「いじめ、いじめられる関係の中で次男(サツキ)が生きることのほうがどんなに〝さわやか〟か、とそう僕に思わせた」と述懐している(山尾謙二『サツキからの伝言――0点でも高校へ』ゆみる出版 1986年 pp.98-109)。
 ぼくらは、「体罰撲滅・体罰厳禁キャンペーン」に警戒的だった。教研では、この流れの中で、「問題」教師のレッテルばりとその排除が進行すること、教師が子どもと格闘しないでカウンセリングなどに預けること、「イジメられる子どもを守る」という論理で特殊学級送りをすることなどを批判的に議論している(『共生・共学か発達保障か』pp.57-68)。
 そんな体験や議論の中で、「せめぎあう共生」という言葉が、ある程度納得されていく。そのことをきちんと論理化したのが、斉藤寛さん(教育学)だと思うけれど(「せめぎあう共生――〈分けない=くくらない〉ということ」岡村達雄編『[教育の現在・理論・運動]第二巻 現代の教育理論』pp.331-363)、斉藤さんも岡村さんも、持田栄一さんを先達として、彼と一緒に学びあった人たちだった。(pp.29-30)

 子問研は、「勉強が出来ても、出来なくても地域の学校へ」と呼びかけて、その思いとともに、一緒に考えていく関係(月例の「教育を考える会」と、その報告を軸としたミニコミ紙『ゆきわたり』、そして、〝遊ぶ〟集い)を創りだした。ぼくは、いま、76才だが、当時は30才前半だった。その頃の子どもたちで、先日、久しぶりに会ったら、いまは54才。その子は、当時、学校問題でいろんな苦労をしていて、「そんなにいじめられて、なんで学校に行くんだ」と聞いたら、たった一言、「俺は明日いじめられないと思っていくんだ」って言った。当時のぼくらは、そのこだわり方にすごく感動した。実は、さっきも話したが、「いじめ撲滅キャンペーン」批判も彼から出発している。(p.32)

⇒このエピソードについては、下記のpp.98-105参照。
 篠原睦治,1976,『「障害児」観再考――「教育=共育」試論』明治図書出版.


斎藤寛
(公教育研究会会員)
1988/11 「せめぎあう共生――〈分けない=くくらない〉ということ」岡村達雄編『教育の現在 第二巻 現代の教育理論』社会評論社,331-363.

 いままで学校でも地域でも見かけることのなかった「障害児」がある日普通学級に入ってくる。そこには当然、この、すでに均質化された学級集団にあらわれた「差異」(物象化された差異)をターゲットとしたいじめ――全員一致の暴力が生じることが多分にあり得るだろう。だからあの子は特殊学級か養護学校(あるいは盲学校、聾学校)にいればよかったのだ……ろうか?
 いじめもまた人々の〝社会制作〟のプロセスである以上――たしかに「相乗的」な「好ましい」制作法とは言い難いにせよ――避け通すわけにはゆかないものなのではないだろうか。竹内常一が説くように、「いじめのひろがりの裏側で子どもたちは友だちを求める必死の努力を重ねている」のであり、「それを無視して、『いじめを根絶する』といったスローガンを掲げると、それは子どもの友だち関係そのものの撲滅運動となるだろう」。
 したがって、誤解をおそれずに言えば、いじめもまた「共生」のプロセスなのだ、と思う。ひととひととの間に争いなく利害の対立なくすべてがわかりあえる関係などというものは、およそ〝夢〟としてしかあり得ない。仮りにその〝夢〟の実現する瞬間があり得たとすれば、そのあとにはその瞬間を状態へと暴力的に引きのばすための果てなき抑圧がつづくだろう。私たちはそれを「共生」とは呼ばない。
 真木の所説との交叉(二節のc)をめぐって補言するならば、「どのような共生」?と問われても、私の場所からは、いじめをも当然ふくむようなプロセスとしての「共生」のイメージを描くほかはない。ここでこそ私たちは、特段の希望も絶望もこめることなく、〝人間はそうでしかあり得ないのだ〟とつぶやくべきなのではないか。――ちょうど、いかなる生命も〝食の連鎖〟からはなれては在り得ないことをみとめる時に希望も絶望も思い入れる必要はないように。(p.348-349、傍点省略)

※「竹内常一が説くように」の引用元は下記。
 竹内常一,1987,『子どもの自分くずしと自分づくり』東京大学出版会.
※「真木の所説」は下記。
 真木悠介,1982,「卵を内側から破る――管孝行『関係としての身体』応答」『思想』698: 50-61.


≪参考≫ 
中田圭吾(東京大学大学院教育学研究科修士課程修了)
2019/11 「『せめぎ合う」共生を求めて――子供問題研究会における『生き合う』関係」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,95-115.

 「生き合う関係」および「せめぎ合う共生」という関係性には、互いを中傷しあったり、いじめたりするような関係性も含まれている。能力的に劣っているとされた子どもは、当然ながらグループ活動で足手まといになったり、日常の中で馬鹿にされたりすることが起こる。このような関係性は、普通学級という場で日常を共有していない場合には生じえない。特殊学級に「障害児」として選別され、隔離される場合には、バカにされるよりむしろ、その「障害児」たちは、同情され理解きれる対象となるのである。一見すると、馬鹿にされたりいじめられたりするよりも、特殊学級の中で過ごしたほうがよいように思えるが、子問研は、「同情され理解きれる」関係性よりも「いじめられ馬鹿にされる」関係性の方が好ましいとする。子問研の発想では、「じきじきにバカにされ、そしてじきじきにやりかえす可能性をもった生活の方が、無関心・無感動・無関係という決定的・一方的な差別の生活よりも、はるかに貴重な関係」であるとされる。「普通学級に通わせたい」という親たちの願いや「特別扱いされたくない」「別の処で生きたくない」という子どもの願いは、このような「生き合う関係」を剥奪されることへの拒絶である。子問研によれば、「生き合う関係」および「せめぎ合う共生」という関係性の中では、「できない」子供自身にも、「出来なくってなぜわるい。そこは助けてほしい。支えてほしい」と要求していく姿勢が求められる。このずぶとさ、強さは、同情しながら、「合わせてくれる周囲の人々の「配慮」によっては育てられない」。むしろそこで、「お互いがお互いの要求やその都合をそのまゝぶつけ合う中で」こそ生まれてくるのである。このような「関係」を結んでいく在り方こそが、子問研が「共に生きる」という理念として掲げる際に核として内包しているものである。(pp.103-104)

 「共生」について、後に篠原は「ユートピアとしての共生」と「リアリティーとしての共生」という二つの「共生」観を提示する。篠原は、斎藤寛の「せめぎ合う共生」(斎藤「せめぎ合う共生」、岡村達雄編『現代の教育理論(教育の現在 歴史・理論・運動)』社会評論社、1992(初版1988)年、第10章)という概念に言及し、「いじめ」もまた共生の一つの形であるとしている。篠原は、「共生」という語を使用する際に、「現実との関係の中で、非常に補完的になってしまったり、現状肯定的になっちゃうような危うさをもう一方で引きずる」という点は自認しながらも、後者のような「共生」をイメージしている。(p.115)

 
*****

嶺井正也(専修大学教授)
1996/03 「共生共育論の系譜と課題」嶺井正也・小沢牧子編『共生・共育を求めて――関わりを見なおす』明石書店,16-39.(再録:1997,『障害児と公教育――共生共育への架橋』明石書店,12-35.)

 しかし、さきに紹介したように篠原や、あるいは斎藤寛の「せめぎあう共生」という論理は、ことに「障害」を理由として「分けられない」ことにこだわるがゆえに、望ましい状況としての共生でなく、様々な矛盾や葛藤を抱えた中での生き合う関係性=共にあることをつくり出していくことを提起し、したがってある面では「いじめもまた『共生』のプロセス」だとする。この発想をどうとらえるかである。斎藤は「人と人との間に争いなく利害の対立なくすべてがわかりあえる関係などというものは、およそ〝夢〟としてしか有り得ない。」、共生には「特段の希望も絶望もこめることなく、〝人間はそうでしかあり得ないのだ〟とつぶやくべきなのではないか」としているが、反差別・抑圧運動から生まれてきた共生概念に、めざすべき価値としての意味はないのだろうか。こうした言い方では、隔離や分離への批判はできるとしても、そうでない関係の中での差別や抑圧への批判にはなりえない。我々は、平板で矛盾なき道ではなく、たえざる葛藤の中で人間としての関係を作りつつ生きていく共生を求めていきたい。
 栗原は「共生とは、生命系を活性化させる方向へ諸活動が相乗化することである。」とし、さらに「二つ以上の生命系の単位が、やりとりし、重なり合い、結びつくことによって、生命を相互活性化し、相互解放すること。一方が他方を抑圧したり、圧殺したりしない、対等な関係性」であるともしている。筆者の求めるところはこれと同じである。(pp.34-35(再録文献 pp.31-32))

※「栗原は」の引用元は下記。
 栗原彬,1994,『人生のドラマトゥルギー』岩波書店.


堀正嗣
(関西大学教員)
1996/07 「これからの『障害児教育』――『共に生きる教育』をもとめて」『ノーマライゼーション研究 1996年版年報』,107-121.(再録:1998,『障害児教育とノーマライゼーション』明石書店,199-221.)

 東京の子供問題研究会の討論集会に参加しました。テーマは「なぜ一緒にいるだけではいけないの」というものでした。……
 私がこの集会に参加しようとした動機の一つは、子供問題研究会の斎藤寛さんに論文を批判していただいたということがあります。……
 この集会で私は、「『一緒にいるだけ』などということはあり得ない。一緒にいればそこに何らかの関係があるわけで、その関係がいじめられたり無視されたりする関係なのか、それとも子どもが少しでもラクになっていける関係なのかという違いがあるだけではないのか。つまり、一緒にいることは当然の出発点であって、『一緒にいる』ということの中身を丁寧に考えていくことが大事なのではないか。だから、いじめや差別や無視があれば、そのことに対してきちんとした対応をしていかなければならないし、子どもたちがより良い関係をつくっていくことができるように、また生き生きできる授業をつくっていくように努力することはおとながやらなければならないことなのではないか」と自分自身の幼少期の体験を交えて発言しました。
 私は障害児に対する排除の圧力が強い中で、「なぜ一緒にいるだけではいけないの」と言いつづけることに込められたおもいに共感します。しかし、「一緒にいる」ということがあたりまえになってきた状況の中では、「一歩前に進む」ためには、障害をもった子どもが学校生活や授業の中で生き生きできるような手だてを具体的に考えていくことが必要であり、またそのことを通してどの子にとっても生き生きできるような学校や授業をつくり出していく努力をすることが必要だと思います。(pp.109-110(再録文献 pp.202-204))

※堀の論文
 堀正嗣,1995,「『一緒の教育』が問いかけるもの」山本冬彦編『教育の戦後思想――その批判と継承』農山漁村文化協会,**-**.(再録:1998,『障害児教育とノーマライゼーション』明石書店,133-159.)
※それに対する斎藤の批判
 斎藤寛,1995,「『「一緒の教育」が問いかけるもの』を読んで」『ゆきわたり』261.

1998/07 「『共に生きる教育』をすべての学校で」佐伯胖・黒崎勲・佐藤学・田中孝彦・浜田寿美男・藤田英典編『岩波講座 現代の教育 第5巻 共生の教育』岩波書店,186-207.

 管理教育と能力主義教育の中で、子どもたちは同じであることを強要され、競争させられ、分けられてきた。そんな中でどの子も心に傷を負い、心の底に恐怖を持って生きている。いじめや不登校などの子どもたちの苦しみの背景には、この傷と恐怖がある。また障害な持つ子どもを分けて教育するということも、私たちの傷と恐怖に基づくものである。
……
 管理教育・能力主義教育は、障害を持つた子どもを「特殊な子」、「劣った子」とラベリングし、切り捨て、分けてきた。そんな中で、自分もまたいつ切り捨てられ、分けられる側にまわされるかも知れないという恐怖をどの子も心の底に植えつけられてきた。子どもたちは、分けられる側に転落しないように、必死に普通であることにしがみついている。そして教師と子どもの関係も、疎遠な、お互いを傷つけあう関係になっている。そんな中で、どの子も孤立感と無力感を持って生きている。時間的空間的に一緒にいても、本当はみんな寂しいし、不安なのである。
 私は、障害を持つ子どもがいるクラスは、楽なあたたかい雰囲気があるとよく感じる。自分自身がさまざまなしんどさをかかえている子どもたちや、教師が「心配だ」と思っている子どもたちが障害を持つ子どもたちに関り、その子自身が楽になり、生き生きしてくる。こういう話をいろいろなところで聞く。
 障害を持つ子どもたちは、管理主義・能力主義の価値観を異化している。障害を持つ子どもたちはみんなと「違う部分」、「できない部分」をどこか持っている。障害が重い子であればあるほど、このことははっきりしている。そうした子どもがあたりまえにみんなと一緒に支えあって生きているという現実が、管理主義・能力主義の価値観を根底から否定しているのである。だから、障害を持った子どもたもと日々一緒にいることで、子どもたちは、管理主義・能力主義の価値観から逃れて、ありのままの自分を大切にしながら、仲間と共に生きていくという生き方に気づいていくことができるのである。(pp.204-206)


西村愛
(大阪府立大学大学院社会福祉学研究科博士後期課程)
2003/12 「共生・共学概念の曖昧さを問い直す」『社會問題研究』53(1): 125-144.(→機関リポジトリ

 しかし、普通学級に入ったがゆえに、「健常」児によるいじめや排除などの問題も出てくる。そのような状況に対して、篠原は次のように解釈する。「あの子は普通学級じゃなくて養護学級だったら、こんな体験はしなかったと考えてみると、彼女がやっぱりシャバで暮らすと考えるとするなら、遅かれ早かれ体験する話だ」。……
篠原にとって、共生は普通学級の中での矛盾や緊張関係を体験しながら生きるという「せめぎあう共生」を意味する。それ故、いじめも共生のプロセスとなる。(p.129)

 その結果として生じるいじめに対して、篠原は「いじめも共生のプロセスだ」とする。80年代からいじめが社会問題となる中、その論理は果たして共生であると言えるだろうか。筆者は、いじめに耐えることで、それがプラスに転じる可能性と問題解決しようとする学校、教師、親の努力が期待できなければ問題が多いと考える。いじめが陰湿化し、いじめによる不登校や自殺、死亡などの事件が起こっている現実を鑑みた場合、その論理は限界があると言わざるを得ない。「共生」という言葉と状況との間に乖離が生じていると感じているのは筆者だけであろうか。(p.140)


≪参考≫ 二見総一郎(東京大学大学院教育学研究科博士課程)
2019/11 「共生教育運動におけるジレンマ――大阪枚方市・宮崎隆太郎の挑戦」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,197-216.

 それでは、本書第5章で取り上げた子供問題研究会(子問研)の山尾謙二との論争を、宮崎はどのようにひきとっていたのだろうか。論争の経緯を改めて少し整理してみる。本書第5章で取り上げられていたように、論争の発端は、一九八二年に宮崎が子問研の事務所を訪れて自らの実践について紹介したことであった。それに対して子問研メンバーの山尾が宮崎の教師としての熱心さに対して「きもちわるい」と評し、「シャカリキに教え込もうとする教師の立場」に疑義を呈した。山尾は、宮崎のような「丁寧な教育」や障害児のための「頑張る教師」の存在がなくとも、子ども同士は「教師の目の離れたところ」で学び合っているのだから、「もっと〝気楽に〟子供と一緒に学び合う」ことでいいのではないかと述べた。学校を「教育の場」ではなく、「生活の場」として捉える子問研にとって、子どもたちが周囲の子どもや大人との関係性の中で自然に生きていることが望ましいことであり、そこに通底する考え方として、いじめや差別も含めて共生のプロセスとしてみなす、「せめぎあう共生」観があった(本書第5章)。
 山尾は、教師に必要なことは、「障害児」が「普通学級」にいる「あたりまえ」の中で、「〝自由奔放〟に感動する感性を鋭く磨きつづけること」ではないかと、宮崎の教師としての在り方を批判した。山尾たちにとって問題だったのは、教師が〝カマエ〟を持って子どもに積極的にかかわろうとすると、子ども同士の関係を見落としやすくなり、その関係を分断してしまうことだった。だからこそ山尾が教師の役割として求めたことは、積極的に何かをするのではなく、子ども同士の「学び合い」に「感動」し、そこから既存の教育を打ち破る感性を磨くことであった。
 しかしながら宮崎の目にこのような教師の姿は、結局「何もしない」教師の姿として映った。宮崎はこのような教師像に対して、「子ども同士の学び合いにもたれかかっていなかったか」という言葉で問題提起をした。その理由は宮崎が、「障害児」とともに学んでいたはずの子どもたちが、学年が変わったり中学に上がったりした時に、差別する側に回ってしまう場面を、数多く目の当たりにしてきたからだった。

「こいつ、おもろいぞ」と他の子どもたちの前でよっちゃんをからかっているかつての『仲間』の姿を見た母親の驚きはどんなものだったでしょう。「明日から期末テストがはじまるから、順ちゃんを休ませてください」と家に電話をかけてきた同級生。タバコの火を顔に押し付けられて、泣いて逃げるヒロちゃんを階段から蹴り落とす中学生――。みんな一度は「障害児」とともに生活してきた子どもたちなのです。

 子ども同士がともに学び合うことにもたれかかっているだけでは、「ホンネのところで拒否する思想」にまみれた学校文化の中で育った子どもたちによって、結局「障害児」が差別され排除されてしまう。宮崎が見てきた現実は、教師の影響のないところで子ども同士が差別を再生産する姿だった。宮崎は、子どもたちが差別を学んでしまうのは「ホンネのところで拒否する思想」を持つ教師たちの姿を見ているからであると考えていた。そのため宮崎は、子どもたちが差別を再生産してしまわないためにも、教師が「障害児」の生活全般にわたる「しんどさ」に、毎日、毎時間とことんまで「つきあう」ことが重要なのではないかと、山尾に反論した。(pp.210-212)

※「こいつ、おもろいぞ」の引用元は下記。
 宮崎隆太郎,1983「『ゆきわたり』第118号の山尾謙二さんの報告を読んで。」『ゆきわたり』120: 9-13.


*****

参考文献

  • 二見総一郎,201911,「共生教育運動におけるジレンマ――大阪枚方市・宮崎隆太郎の挑戦」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,197-216.
  • 堀正嗣,1995,「『一緒の教育』が問いかけるもの」山本冬彦編『教育の戦後思想――その批判と継承』農山漁村文化協会,**-**.(再録:199801,『障害児教育とノーマライゼーション』明石書店,133-159.)
  • 堀正嗣,199607,「これからの『障害児教育』――『共に生きる教育』をもとめて」『ノーマライゼーション研究 1996年版年報』,107-121.(再録:199801,『障害児教育とノーマライゼーション』明石書店,199-221.)
  • 堀正嗣,199807,「『共に生きる教育』をすべての学校で」佐伯胖・黒崎勲・佐藤学・田中孝彦・浜田寿美男・藤田英典編『岩波講座 現代の教育 第5巻 共生の教育』岩波書店,186-207.
  • 児玉勇二,199902,「障害をもつ子・人に対する体罰・虐待・いじめ」児玉勇二編『子どもの人権双書6 障害をもつ子どもたち』明石書店.
  • 嶺井正也,199603,「共生共育論の系譜と課題」嶺井正也・小沢牧子編『共生・共育を求めて――関わりを見なおす』明石書店,16-39.(再録:199702,『障害児と公教育――共生共育への架橋』明石書店,12-35.)
  • 宮崎隆太郎,199110,『障害児とともに学ぶ――子どものこころが見えるとき』三一書房.
  • 中田圭吾,201911,「『せめぎ合う」共生を求めて――子供問題研究会における『生き合う』関係」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,95-115.
  • 西村愛,200312,「共生・共学概念の曖昧さを問い直す」『社會問題研究』53(1): 125-144.
  • 斎藤寛,198811,「せめぎあう共生――〈分けない=くくらない〉ということ」岡村達雄編『教育の現在 第二巻 現代の教育理論』社会評論社,331-363.
  • 篠原睦治,197609,『「障害児」観再考――「教育=共育」試論』明治図書出版.
  • 篠原睦治,200202,「『共生』のなかの『分離』を考える」『社会臨床雑誌』9(2): 19-24.
  • 東京大学大学院教育学研究科小国ゼミ編,201703,『「障害児」の普通学校・普通学級就学運動の証言――1979年養護学校義務化反対闘争とその後』.


*****

» 八木下浩一のいじめ観